2022/02/03 07:42


がっつり昭和に生まれた私は、

両親と兄二人の家庭に育った。

兄からはたいそう可愛がられていたが、

幼少期に長兄を縁側から庭に突き落としたらしく、

長兄とは距離を置いていた。


そんな長兄がハマったのが、

昭和の娯楽の代表「テレビ」だ。

父は留守にすることが多く、

家庭でのチャンネル権がほぼ無い状況で、

幼少期を過ごした。


結果、女の子が見るであろう少女アニメや、

幼児向けの番組をほとんど見ることが出来ず、

学校での会話についていけなかった

悲しい記憶がある。


一番辛かった思い出は、

「太陽にほえろ」という刑事ドラマを

「音だけマイクで録音」

するという、なんとも奇妙な光景を生み出した。

くしゃみや咳をするとひどく叱られた。

家庭用録画機能がまだ登場していなかった頃の、

悲しい記憶である。


今では考えられないが、

チャンネル権を巡って、骨肉の争いが

毎日のように繰り広げられた。

それを見た母はカンカンになり、

教育番組に変えて

「回すチャンネル」を引っこ抜いたりした。


そう、チャンネルは「回す」ものだった。

そして、電話も、電話番号を「回す」とかけられた。

だが、寿司は回っていなかった。

授業中、小さなメモが回ってくることもあった。

今では少なくなりつつある回転扉も「回って」いたし、

中にはベッドも「回って」いたらしい。


時代の移り変わりで便利な世の中になったが、

なんだか味気ないな、と思いながら、

スロットを回す日々だ。